こんにちは、仙台のメンタルトレーナー吉田です。
突然ですが、あなたはネガティブな出来事の過去を引きずるほうですか?
それとも、サバサバ忘れちゃうほうですか?
マンツーマンでセッションをしていると、
「頭にネガティブな考えが浮かんできて眠れなくなるんです」
こうした話をよく伺います。
私たちは毎日、いろいろな出来事を体験しますが、
その体験にどのような意味づけ(解釈)をするかによって、
実は体験そのものの記憶まで変わります。
今回は、私たちが無意識で行っている、
出来事や経験に対する「意味づけ(解釈)」について考えてみたいと思います。
出来事は無色透明 ただ淡々と起きているだけ
何らかの出来事や経験を初めてしたとき、
私たちはその出来事や経験に対して意味を与え記憶します。
※こちらの記事も参考にしてください
『不愉快な感情に囚われ自分が振り回されない「思考(出来事への解釈)を変える方法」』
最初の意味付けは「思考」で行い、
それによって生じた感情や行動のフィードバックを受け、
さらに新たな「意味付け」がなされていくというサイクルです。
出来事や経験に対する「意味付け(ラベル付け)」がとても気持ちのいいものであれば、
同じような出来事や経験をすることに自然とやる気を起こすでしょうし、
もし、不快な意味づけがなされたなら、
次からは自らやろうと思わなくなるということです。
人材マネジメントでは「最初に小さな成功体験を積ませる事が大事」と言われる背景には、
このような脳の仕組みを昔から経験として知っているからなのでしょうね。
さて、こんなイソップ童話はご存知ですか?
【神様と壷】あるとき、神様はこの世界に存在している、あらゆる「善」を全て集めて、ある壷に入れて蓋をしました。
そして、「この壷の蓋は絶対にあけてはならぬ!」と言って、その壷をある男に預けました。
ところが、その男は「神様がなにか大切なお宝を隠しているに違いない」と、壷の蓋を少しだけあけて覗き込みました。
すると、中に入っていた「善」は、蓋の隙間から全て出て行ってしまいました。
男はあわてて蓋をすると、壷の中にはかろうじて「希望」が残りました。
その壷の中に残った「希望」は、人々にとって大きな救いとなりました。
なぜなら「壷から出て行ってしまった善は、いつかは戻ってくる」という「希望」を人々に与え続けたからです。
さて、私たちはこの童話から、
沢山の教訓を学ぶ事ができます。
あなたも少しだけ時間をとってこの童話からの「学び」を考えてみて下さい。
出来事や経験の意味付けは価値観(解釈)に影響される
私なりにいくつか書いてみると、
「人は神様との約束すら裏切る生き物だから、簡単に信用してはならない」「人の好奇心は神様といえども止める事はできない」
「人を動かしたいなら、好奇心を煽ること」
「失ってはじめて人はそのありがたさがわかるもの」
「希望を持つことは、人生をいきいきと生きるために欠かせないもの」
etc…
おや? 私の場合、ちょっとネガティブな教訓が多いようですね(笑)
これを読んでいるあなたも、
きっと「あなただけの解釈=意味付け」を持っていると思います。
ここで言いたいことは、
「出来事や経験の意味付けはいくらでも出来る」
「出来事や経験の意味付けは一つではない」
ということ。
過去のネガティブな経験の意味付けを疑ってみる
同じ出来事や経験に、沢山の違う意味付けができるなら、
あなたを不快な気持ちにさせる過去の出来事や経験にも、
ネガティブ以外の他の意味付けが必ずあるはずです。
もし、過去のネガティブな出来事や経験の記憶のせいで、未来に進めないと感じる時があるなら、
過去の出来事や経験に対する、『今の意味づけ』を考えてみるてはいかがでしょうか?
『不愉快な感情に囚われ自分が振り回されない「思考(出来事への解釈)を変える方法」』
でも書きましたが、
「あの出来事から一つだけ学べるものあるとしたらそれは何だろう?」
と考えてみるのもいいでしょうし、
「あの出来事を経験できたおかげで、いまの自分にプラスになっているものは何だろう?」
「もし、もう一度やり直せるとしたら、次はどうやるだろう?」
という質問もいいかも知れません。
出来事や経験の意味付けは「ひとつ」ではありません。
過去に起きた出来事や経験から、
その時学んだことが、今のあなたにとって「手放したいネガティブな意味づけ」になっているなら、
少し時間をとってこれらの質問の答えを考えてみてはいかがでしょうか?