こんにちは^_^
仙台のメンタルトレーナー吉田です。
今回は、何かと生きづらい現実世界を生み出してしまう要因になっている
「心の防衛機能」についてお話しします。
心の防衛機能には色々なものがあって、
元々は不愉快な体験や心の痛みから私たちを守ろうとしているのですが、
過度に機能しすぎると逆に不愉快な現実を体験する大きな要因になります。
例えば、
☑︎過食、拒食
☑︎パニック障害
☑︎アトピー、アレルギー
☑︎不安神経症
☑︎過度な緊張
☑︎過敏性腸症候群
☑︎視線恐怖(赤面・吃音・多汗など)
☑︎HSP
☑︎うつ
なども心の防衛機能が過度に働きすぎているせいで
発生した副産物であることがとても多いです。
また、人間関係で抱えてしまう様々な問題も、
実はこの「心の防衛機能」が過度に働いてしまっているせいで起きてると、
メンタルトレーニングの現場で気づかされています。
そこで、今回はこの心の防衛機能について
具体的な事例をあげながらお話ししてみようと思います。
抑圧
抑圧とは、
”本当は受け入れたくないのに受け入れざるを得ないような状況のとき、その時に考えたことや素直な感情、あるいはそのときの記憶を否定したり、最初からなかったことにしたり、無理矢理忘れようしたりすること”
です。
たとえば、
幼い頃から威圧的、権威的、独善的な親のもとで
親の価値観を「絶対的なルール」として育ってしまったり、
幼い頃から、自分だけいつも家で一人っきりのお留守番…
せっかくの休みの日でも両親は怒鳴り合いの喧嘩をしている…
こうした環境では子供らしい素直な気持ちを
ありのままに表現する機会が失われています。
すると喜怒哀楽などの感情を物心つく前からどんどん抑圧します。
「もっと話を聞いてほしい」
「もっとかまってほしい」
「もっと注目してほしい」
「もっと愛してほしい」
本音ではそう思っていても、
実現しない現実に押しつぶされ本音を我慢する癖がついてくると
次第に自分の感情自体にも鈍感にしなってしまいます。
また、興味深いことに抑圧は感情のみならず
「記憶」にも影響します。
抑圧状態にいるときには、強く感情が動かされるような
体験の記憶がほとんど思い出せなかったりします。
悩ましいことに、抑圧された感情が溜まりに溜まっているにも関わらず
さらにもっと抑圧していくと、身体が「もうやめてくれ!!!」と
わかりやすいサインを送ってきます。
それらが例えば、
・偏頭痛
・過食、拒食
・パニック障害
・アトピー、アレルギー
・不安神経症
・過度な緊張
・過敏性腸症候群
・視線恐怖
・うつ
ということですね。
『無意識の抑圧に気づく方法』
悩ましいことに、何を自分が抑圧しているには、普段、なかなか気づけません。
気づくことができなければ残念ながら何も対処できませんから、
まずは「抑圧しているものがある」ということに気づくことが大切です。
実は、気づくチャンスは無数にあります。
それは「不愉快な出来事」を体験したときです。
何かと不愉快な出来事が続いて起きているという場合は、
相当量の何かを抑圧している可能性がとっても高いです。
ですから、不愉快な出来事を体験したとき、
環境や他人を責めている場合ではなくて、
本当は何かものすごく我慢しているのではないか?
これを真剣に考えてみましょう。
合理化
「合理化」とは、
”さももっともらしい理由をつけたり、環境や他者など何かほかのものに責任転嫁をしたりすることで、本当は受け入れがたいことを受け入れてしまっている自分自身の正当性をキープすること”
です。
たとえば夫婦関係がうまくいかないとき、
「早く帰ってきて話を聞いてくれない夫が悪い」
「友達がいない場所に引越しを命じた会社が悪い」
「イライラさせられる子供が悪い」
「両親が喧嘩ばかりしていたからいい夫婦のあり方がわからないんだ!」
などと、とにかく自分のことは完全に棚に上げて「外部」に責任の所在を求めてしまう。
それも、「うーん、確かにそうだよね」というようなもっともらしい理由をちゃんと考えている…。
「うちの子が引っ込み思案なのは、私がシングルマザーのせいだ…」
こういった思考も合理化です。
受け入れがたい現実(失敗や欠点)を、無理やり受け入れられる形に
歪曲する考え方と言ってもいいかもしれませんが、
その実、心の中では現実を何も受け入れようとしていない…
これは、疲れていたり、ストレスで精神的に余裕のない時には、
誰しもが思わず行っていたりすることです。
ですが、これが「常態化」しているとき、
心の深い部分には「罪悪感」とか「無価値観」「劣等感」「人間不信」
「自己否定(自己嫌悪)」などがあって、
何かと「葛藤」に苦しんでいる状態と言えるでしょう。
また、合理化が常態化していると生きている現実世界を
「誰かにコントロールされている世界」
と感じるようになるし、
そもそも現実を客観的に見ることができないので、
何かと不愉快な世界を体験し続けます。
頑張っても頑張ってもどんどん不愉快な世界がやってくるので、
被害者意識も強化されてしまいます。
『無意識の合理化をやめるヒント』
合理化が定着していくと自分に都合が悪いことは、何かと他責にします。
ですから自分の理屈(ほとんどの場合、屁理屈です^_^)の正当性に固執する前に、
数歩下がって第三者の視点で起きている現実を見るような練習をする必要があるでしょう。
また、身近にいる「あなたにとって耳の痛い話をしてくる人」に
勇気を出して近づいてその人の話に素直に耳を傾けてみるのもいいでしょう。
同一視
こちらも生きづらい現実世界を体験している人には
本当によく起きていることで…
「同一視」とは、
”他者が持っているある特徴を、あたかも自分も持っているかのように振る舞ってみたり、感じたりすること”
です。
自分が憧れている人の真似(モデリング)をすることも同一視と言えます。
たとえば、厳格で傲慢な親に育てられた子供が
「自分が大人になったら親のようにはなりたくない」
と思っていても、ふと気づくと親と同じようなことを自分もやってしまっている…
こういうケースって本当に多いのです。
これは自分にとっての恐怖や嫌悪の対象と自分が同じになることによって、
その対象から攻撃されないようになるという防衛心理が働いています。
「ちゃんとしなさい!」と子供時代に親や先生から怒られたりすると、
素直な自分を否定して、「親の期待するちゃんとした子供」に
頑張ってなろうとします。
自分を否定して誰かになろうとすればするほどどんどん自己否定が加速するので、
そりゃあ苦しくなるわけで…
たとえば、
親が「身長が低いという身体的特徴に対する劣等感」
を持っていたとします。
そうするとその劣等感を自分の子供と共有することで、
自分の心の傷を癒そうとすることがあります。
「うちの子は身長が低いから」と、ことさら他人の前で身長について
卑屈なことを話してみたり、うまくいかない理由を何でもかんでも
「身長の低さ」のせいにして誤魔化そうとしたり…
そうやって自分自身の劣等感を子供にも適用させることで
本当は自分が安心したいだけなのですが、
そういうコミュニケーションをされた子供には親の劣等感が
そのまま受け継がれてしまうわけで…
アダルトチルドレンとかHSP、パニック障害などでお悩みの方によくあるのは、
自分の悩みを解決しようとネット検索しているつもりで、実は何をやっているかというと、
それらの症例に自分を当てはめては、逆にどんどん「私はアダルトチルドレンです!」
などと変な自信をつけちゃうこと…。
これも「同一視」と言えるでしょう。
『無意識の同一視をやめるヒント』
無自覚な「同一視」の呪いから抜け出すには
「自分はお母さんにならなくていい!」
「自分は自分、他人は他人!」
と自分以外の誰かにならなくてもいいと
念仏のように自分にただただ許可を出していくことです。
投影
投影とは
”自分自身が無意識に、あるいは意識的に「抑圧」している考え方や感情…言い換えるなら「本音」を、あたかも他の人が持っているかのように感じてしまうこと、目に映ってしまうこと”
です。
たとえば、あなたが、本当は「こうしたい!」とか「こうしたくない!」という
なんらかの本音を持っていたとき、
それを意識的にあるいは無意識的に「抑圧」していたとします。
するとあなたの目の前には、
あなたが「本当はこうしたい」とか「本当はこうしてはいけない」と思いながらも
グッとこらえて我慢していることをあっけなくやってしまう人や、
あなたに「どうしてやらないの?」と強要する人が現れます。
あなたがやりたくても我慢していること、
あるいはやりたくないのに無理やりやっていることの
真逆を当然のようにやってしまうので、
あなたはとても驚き、
悔しくなったりイライラしたり、本音通りにできない自分を激しく責めたりして、
無茶苦茶疲れます。
これは本当は「あなたの中に抑圧された本音がありますよ!」と
無意識に教えてくれているサインなのです。
ですが、前述した「合理化」などと合わせ技で防衛機能が働いてしまい、
「相手が悪い!」「相手がおかしい!」と一方的に断罪してしまっているので
自分の本音に気づかないんです。
なので、自分がその相手に対して、なぜ
こんなにも激しい感情を抱えてしまうのかも
自分で気付けないまま、とにかく会うたびに不愉快になる…。
引き寄せの法則とか共鳴の法則とか呼称は何であれ、
結局は「自分の内側で思っていること」を
私たちは誰かに、あるいは何かに投影しながら
体験するようになってます。
『無意識の投影をやめるヒント』
もしもあなたが不愉快な引き寄せばかりを体験しているなら、
一度、自身の心の内側を深く探ってみて、
「私は何を抑圧しているのだろうか?」と
考えてみるといいんですよね〜。
例えば、
あなたの身近にいる嫌な人の「特徴(性格面・振る舞い面)」を
具体的に紙に書き出してみるのはいい方法です。
その書き出した特徴をまじまじと見てみると、
「実は自分もやってみたいと思っている」
「実は自分もやらないようにしているけどやっているときがある」
みたいなことに気づけるはずです。
反動形成
反動形成とは
”「抑圧」した思考や感情(本音)と正反対のことをしてしまう…言い換えれば「あまのじゃく的」な心の防衛機能のこと”
です。
たとえば、すごく不愉快で苦手な人が身近にいたときに、
その不愉快さや苦手意識を表に出さずにグッとこらえて抑圧していたとします。
受け入れがたい不愉快さや苦手意識を抑圧すればするほど、
「不愉快でもないし苦手でもない」という意識や行動を取らないと
自分の心の中に矛盾(葛藤)が生じるので、
顔を引きつらせながら、その人と仲良くしようと無理して
頑張ったりするのがいわゆる「反動形成」です。
ですが、頑張って仲良くしようとすればするほど
余計に変で卑屈なコミュニケーションになってしまう…
たとえば、「慇懃無礼」になったり、周りの人に対してその人のことを
過剰に褒めてみたりします。
そうやって頑張れば頑張るほど自分の中の抑圧した「不愉快さ」「苦手意識」が
どんどん膨らんでしまうので、
いつしか心が一杯いっぱいになってしまって、
誰かにそのストレスをぶつけて発散してみたり、何かのきっかけで爆発してみたり…
人との関係性が不自然でギクシャクしすぎるというとき、
それは抑圧したものの反動形成が現れているということはとても多いです。
『無意識の反動形成をやめるヒント』
「人間関係に疲れるな〜」と感じるとき、
そこには何らかの反動形成があると考えていいでしょう。
そして、もっと言うなら反動形成の裏側には
「人から嫌われてはいけない」といったビリーフや、
「孤独が怖い」「一人になりたくない」といった恐れが隠れていることが多いです。
まずは自分の中にどんなビリーフがあるのか、
それを書き換えてみるといいかもしれません。
あるいは、無意識にある「恐れ」や「愛されていない不安」を癒し
手放すことから始めるといいんですよね~
逃避
私たちは「アイタタタ!」という不愉快な現実を体験すると、
「攻撃された!」と感じて瞬時に防衛機能を発動させます。
攻撃の場面を回避するための手っ取り早い方法は「逃避」することです。
逃避とはその名前の通り、
”自分の中に葛藤などの不安な状態や恐怖感情を引き起こすような状況からスタコラサッサと逃げだすこと”
です。
苦手な人を避けるようになったり、実力を出す前に諦めたり
場合によっては自分の体(心)を壊してみたりすることで、
不愉快な現実から逃れようとするのです。
白昼夢にふけって、仕事もせずに
ボーッと脱力状態にいるのも「逃避」と言えるでしょう。
学生のときであれば、社会的責任の重さがそれほどでもないので、
不愉快な現実を避けるために引きこもったり、不登校になったりと
逃避行動って多くみられるのですが、
これが社会人になると、逃避行動ばかりしていると、
怒られたり生活ができなくなったりと余計に不愉快な現実を体験するようになります。
そうした不愉快な現実を体験したくないので、限界までグッと我慢し続けていると、
「もうこれ以上はヤバイ!」と心が悲鳴をあげて
強制的に「現実逃避」させた結果が鬱とか、パニック障害とか不安神経症とか…
まあそんな感じなんですよね~
なので、心が弱いから心の病になるというよりも、
「すごく我慢強い人」だからこそ限界まで我慢してポキっと折れちゃうって感じです。
『無意識の逃避をやめるヒント』
これはなかなか勇気がいることかもしれませんが、
・適度にチャランポランにする
・適度にサボる
・適度に愚痴や文句を言ってストレスを発散する
・無理なものは無理、知らないものは知らないと正直に言う
こういう練習を積み重ねておくといいですね。
置き換え
置き換えとは、
”実際に不安や恐怖、怒りなどの不愉快な感情を感じる相手にではなく、代理人に、その不安や恐怖、怒りなどの不愉快な感情を感じてしまったり、ぶつけて発散したりすること”
です。
ザックリ言ってしまえば「八つ当たり」ですね^_^
たとえば、親に対する根深い怒りをグッと我慢して
心の深い部分に怒りを「抑圧」している場合、
親と似た特徴を持っている人に意味もなく
怒りや苦手意識を感じたりします。
あるいは職場の上司に対する不満を、部下やお子さま、
パートナーに対して発散してみたり…
典型的なのは嫁姑問題。
嫁姑の関係がうまくいかない大きな原因の1つとしても、
この「置き換え」がみられます。
お嫁さん側の場合としてよくあるのは、
自分の母親に対して「抑圧」している怒りや不満、悲しさなどを、
お姑さんに対して感じてしまってイライラしてしまうというもの。
お姑さん側の場合としてよくあるのは、
自分の夫や子供に対する「抑圧」した怒りや不満、悲しさなどを、
お嫁さんに対して感じてしまいイライラしてしまうというものです。
代理人として任命された側としては完全に「八つ当たり」されているわけで、
とても理不尽と感じてイライラしたり嫌いになったり
悲しくなったりすることでしょう。
『無意識の置き換えをやめるヒント』
訳もなく「あの人が苦手」とか、訳もなく「あの人にイライラする」とか
訳もなく「あの人が嫌い」というとき、それはもしかしたら「誰かの代理人」
なのかも??
と、一度自分自身の心の内側を見てみるといいでしょう。
補償 昇華
補償とは、
”自分の持っている劣等感を他の何かで補おうとするようなことで、特に特徴的なのは「他の人から注目されること」で補おうとする”
こと。
たとえば、足が遅いという劣等感を持っているとき、
「絵がうまいね~」と周りから言われることで補おうとすることという具合です。
スポーツの世界などではよく聞く話ですが、
たとえばとても貧しい家に生まれてそのことを周りからバカにされ
激しく劣等感を感じたことをバネにして、そのスポーツの分野で圧倒的な結果を出す。
いわゆる「ハングリー精神」はこの「補償」という心理と言えるでしょう。
こんなふうに心の防衛機能がプラスに働けば万々歳なのですが、
マイナスに働くと途端に生きづらい現実を体験します。
というのも、「補償」とはそもそも劣等感を補償する行為です。
抱えている劣等感を何かで補おうとするとき、
何にフォーカスが当たっているかというと実は「劣等感」そのものなんです。
「ここまで頑張れば、劣等感をカバーできるだろうか?」
という具合に、頑張っている最中、いつも心の中には劣等感がこびりついてて…
フォーカスしたものが拡大するという人の心理があるので、
「補償」のために頑張れば頑張るほど
余計に劣等感も強化されてしまうという構造ですね。
この「補償」に似ているものに「昇華」という防衛機能もあります。
昇華は、
”抑圧して満たされなかったエネルギーを、絵画や音楽などの芸術作品に向けることで他者からの賞賛を受けようとするもの”
です。
「補償」も「昇華」も、他人から賞賛されることで
劣等感や抑圧したエネルギーを発散しようとするものなので、
どんどん自分自身のコア(ありのままの自分軸)を見失って
他人との境界線を確立できなくなっていくという恐れがあります。
自分と他人との間に境界線が引けないと
・自分が本当に好きなことがわからなくなる
・自分の意見を素直に表現できない
・他者の意見や批判に過剰に反応する
・評価されるために頑張ることをやめられない
・他者にコントロールされてばかりいる
・周りに振り回されてイライラする
・周りに振り回されてがっかりする
・振り回されてばかりの自分に嫌悪感を強くする
etc…
たった一度っきりの人生なのに…
こういうのって辛くないですか(T_T)
『無意識の補償 昇華をやめるヒント』
では、そこから抜け出すのにはどうすればいいのでしょうか?
それは、これまで頑張って隠そうとしてきた
劣等感、罪悪感などを公言することです。
「実は私、○○が苦手なんです」
「実は私、○○が嫌いなんです」
「実は私、○○を知らないんです」
「実は私、、、、、」
こんなふうに、隠さずにぶっちゃけてしまうということですね。
過剰に防衛機能を稼働させるのはやめませんか?
さて、ここまで心の防衛機能についてお話してました。
これらは単独で機能するというより、いくつか、あるいは全てが複雑に
絡み合いながら機能しています。
元々は私たちが不愉快な思いをしないために頑張ってくれているのですが、
過剰に機能しだすと、なにかと不愉快な現実世界を創りだします。
もしも、いま不愉快な現実を体験しているのであれば、
一度、これらの防衛機能が過剰に働きすぎていないか
チェックしてみてはいかがですか?